2012年 03月 16日

白山行者道エコツーリズム調査(その2)

鴛谷卓蔵さんからの聞き書き

先日の白山行者道調査の際にお世話になった民宿「おしたに」のご主人のお話を備忘録としてメモしときます。

・30年前の白山室堂では越前室の勢力が強く、非常に立派な石室が運営されていた。
 石の壁で梁には松の大木が使われていた。中では焚き火が焚かれていた。
・若い頃室堂からお客を石徹白まで送り、少し休んでその日のうちに室堂へ帰ったことがあった。
 (すごいですね。)
・白山神社は愛知県に多い。(これは何勢?)
・修験者は石徹白の集落に寄らず、尾根道を通って白山に向かった。
・途中にある「宿」と呼ばれる場所は寝泊まりするところという意味ではなく、祭をするところ。
 護摩を焚くところ。
・大日ヶ岳経由の行者道以外にも野伏側の尾根を経由して白山に向かった修験者がいたと思われる。
 山の名前にその由来が感じられる。
・石徹白へは牛首、打波から出作りにくる人が多かった。そのまま住み着いた人もいた。
 出作りとは山のなかの平坦地を開墾してひえ・あわなどの雑穀を栽培すること。
・和田山(現牧場跡)は非常に肥えた出作りに向いた場所だった。
・橋立峠が加賀・越前との交流の道。「嫁取り峠?」という異名もあった。
・冬期、村外との交流は桧峠経由に限られていた。
 (現在も同じ。なお、冬に桧峠を車で越えられるようになったのは、スキー場ができた1972年。)
・ある事象(笹が鳴るとか)があるときは桧峠を通ってはいけないなどのルールがあった。
・冬期に力尽きて峠を越えられず死亡する者もあった。
・カサバ谷の源流はブナ、ミズメ(アズサ)の巨木が鬱蒼と茂る森だった。
 (現在は伐採され、灌木が残るのみ。)










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by s_space_s | 2012-03-16 08:49 | テレマーク | Trackback | Comments(0)
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