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blog版 がおろ亭

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2018年 06月 13日

極夜行

先日の高賀六社巡りの帰りにまっちゃんが貸してくれたこの本。
「夜の果てへの旅」を読んでいる最中に、別の話(それも夜の)を読む気になれず、ずっとテーブルの上に置いてあった。

このノンフィクションの題材となっている冒険行については、国立登山研修所から送っていただいた「登山研修vol.33」の巻頭にある角幡氏自身による「極夜探検におけるナビゲーション」という文章を読み、概要と肝については知っていた。

「今度の極夜探検は、どこかに到達することより、むしろ極夜という暗闇の世界の状況そのものを洞察するのが目的だった。つまり極夜という外部世界をどれだけ深く認識し、自分の世界の内部に組み込むかがポイントだったので、その過程を省略してしまうGPSのような機器を使用することは、私的にはご法度だったのである。」(上記からの引用)

極夜探検という究極の行為でなく通常の登山であったも、この点は常々感じてきたことであり、氏の言わんとすることは腑に落ちた。
登山に何を求めるかという問題になるが、GPSに頼ることは一番美味しいところを食わずに捨てているようなものだと思う。
この方も同じお考えのようだ。

このノンフィクションを読んでみて、頭で上記のようなコンセプトを理解することと、探検の恐怖、苦しみ、感動といったものを文章上で追体験することは違うと思った。
極夜明けの太陽と対面することは、出生時の疑似体験というような意味付けもどうでもいい。
読む者は、はらはらドキドキして、その状況を追体験すればよいのだ。
そして、極夜の宇宙的な情景やエネルギーの塊である太陽のすごさを感じれればいい。
このノンフィクションはそれに成功していると思う。


昔、越冬した南極昭和基地は、この極夜行の舞台よりも低緯度に位置する。
それでも1月半ほどの極夜はあった。
氷床から流れ出る氷河の舌端や、海氷と陸地の間にできる乱氷帯がどんなものか知っているだけに、極夜探検の困難さが身につまされた。

昭和基地の極夜明け
極夜行_e0064783_18301471.jpg


お恥ずかしいことに、わしは登山記や探検記といったものを読むことがほとんどない。
これからも多分読まないとおもうが、この本は読んでよかった。
まっちゃんに感謝したい。

角幡 唯介著 2018年 文藝春秋

(追記)
エンターテイメントとしてのノンフィクションなら、面白かったという感想で十分だろう。
冒険とは「脱システム」という命題については、まがりなりにもルート開拓という行為を行ってきた者として、自分の登山行為も含め改めて検証してみたい。





by s_space_s | 2018-06-13 17:19 | 読書 | Comments(0)


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