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2021年 09月 01日

高賀川大和谷ダイレクト沢(遡行図)

先日、遡行した高賀山の谷の遡行図を作成した。
遡行図については、飛騨山岳会のK師の無意味だとのご意見もある。
師の言われるように、遡行図の内容を追うだけの沢登りは、楽しみを半分捨てているようなものだろう。

未知の沢を登る楽しみのために、沢の情報を敢えて無視するというのは一つの姿勢だ。
東京スキー山岳部の故新井裕己氏などが一時期提唱していた「情報断食」はそれを突き詰めたものだったと思う。
登山は遊びなのだから、どこまでやるかは興味と安全との兼ね合いで、各自が判断すればいい。

私個人としては、写真と文章だけの遡行記録は全体的なイメージを掴むのが大変で、なかなか読む気がしない。
日比野氏の「百山百渓3」でも、見開き左半分の内容が俳句2句だけとかなのに、右半分に遡行図があるから記録集として価値があるのだと思う。
地形は絶えず変化するから、そんなことを図にしても意味がないとK師は言われる。
しかし、遡行したときにどういう状況だったのかが記録として重要なのではなかろうか。






by s_space_s | 2021-09-01 12:17 | 沢登り | Comments(2)
Commented by float cloud at 2021-09-02 16:42 x
いつも楽しい記事をありがとうございます。
記録はやはり、遡行図を含め、ルート図がメインで、
画像や文章は、それを補完するものでしょうね。
その記録は、時空間における個体の有限性を超越して後世に残るものだと思いますし、記録者が生存していれば、後日、失われた時を求めて遡行しようとする時、とても有効だと思います。
ただ、他者が起点と終点を同じくしてこれをトレースする場合、そこに期待は減ずるでしょうし、独自性は微塵もないでしょうね。
やはりあのもんりさんのように、未知の支谷に入って遡行することが、その記録を発展させることだと思いますが、どうでしょうね・・・。
一枚の画像だけ残す場合は、これは記録というよりは、もうアートでしょうね。その画像の後ろと前に物語が潜んでいるわけですから・・・。
Commented by s_space_s at 2021-09-03 13:16
皆さま、色々なご意見ありがとうございます。
私も悩んでるわけではないので、ご安心を。
記録というものは自己満足だけのものではないと思っています。 


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