blog版 がおろ亭

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カテゴリ:旅行( 30 )


2018年 12月 12日

岩村観光

三森山登山の後、本日の宿となる岩村山荘という旅館に車を置かせていただきました。
この宿は岩村城址の登り口にあって、お城の一部のような佇まいです。
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まず、冷えた体を温めに?「女城主」でおなじみの岩村醸造の酒蔵を訪ねました。
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美濃市の蔵元、小坂酒造の造りとそっくりなのが興味深かったです。
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トロッコの軌道に沿って醸造室の手前まで見学できます。
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試飲を何杯かいただいて、胃から温まりました。
今夜の寝酒も仕入れました。
「うだつ」がないのを別にすれば、美濃の町屋とよく似た雰囲気です。
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お昼過ぎでしたが、うどん処「みつば」で暖かいうどんをすすりました。
もっちりした麺でうまかった。
これで結構お腹がふくれたけど、名物の五平餅もいただきました。
あまから岩村店のは団子型です。
1本100円。クルミ味噌のやさしい味。
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明智鉄道の岩村駅は普通のローカル駅
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古い看板が気になります。
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路地裏のなまこ壁
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明日ものんびりできるので、散策は早めに切上げ宿に戻りました。
岩村山荘の湯はラジウム温泉と銘打っていますが、真水にラジウム鉱石を混ぜたものだそうです。
ローソク温泉ほど強烈ではありませんでした。

夕飯は「戦国料理」という囲炉裏で肉や岩魚や野菜を自分で焼いて食べるという趣向のもの。
まだピクピクしている岩魚を炭火で焼くというのは初めてでした。
Y田さんなら卒倒しそうな料理です。
岩魚の塩焼きをよく食べてる、わしらでも大変美味しく感じました。

風呂場の隣に体育館があり、フロントで道具を借りて温泉卓球をしました。
昔、卓球部だっただけに、かみさんには敵いませんでした。
彼女には、わしの打つ格好が可笑しいらしく、腹筋の運動にはなったみたいです。
部屋に戻って、岩魚の頭を肴に女城主を飲みました。
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明け方に、かみさんがゴソゴソ探し物をしています。
財布やカード、スマホなど貴重品を入れたバックを体育館に忘れたらしい。
朝風呂がてら見に行きましたが、無かったと言って、風呂だけ入って戻ってきました。

館内のことだし、出てくるとは思っていたけど、落ち着きません。
朝飯前わしも風呂に行った帰り、フロントの奥から流れてきた聞き覚えのある目覚ましのメロディーに、ほっとしました。
次に卓球をされたご家族がフロントに預けてくださったとのことでした。

朝は三杯もご飯がすすみました。かみさんは二杯。
チェックアウトしてから岩村城址に上りました。
マチュピチュってこんな感じ?

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本丸は、名古屋城みたいなのが建っていたのではなく、壁と櫓に囲まれた大きな広場だったようです。
いざという時には、ここに大勢の兵士が集まって、気勢を上げたのでしょうね。
バックは白くなった恵那山です。
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裏側の立派な石組み
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下城してから、車で農村景観日本一の展望台へ行ってみました。
手前の杉林?が伸びてきて半分みえません。

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もう一度、城下町を歩き、「かんからや」のかんから餅をいただきました。
1人前が、あんこ・ゴマ・きなこの5個セットで、結構なボリュームで、半分こしました。
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Yさんお薦めの、松浦軒のカステラをお土産に買って岩村を後にしました。

帰りに明智の「団子杉」に寄って帰りました。
樹齢、推定1000年だそうです。
団子というより、ここらなら「栗きんとん杉」ですね。
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by s_space_s | 2018-12-12 18:23 | 旅行 | Comments(0)
2018年 07月 24日

日和田の馬大尽の話

父は昭和7年(1932年)飛騨の久々野の生まれ。
その父から、若いころ日和田の馬大尽の家を訪問した話を聞いたことがあり、興味を持った。
父母を連れて下呂温泉へ行く機会があり、足を延ばして久々野で墓参りした後、日和田の旧原家邸宅跡を訪ねた。

江戸時代から木曽馬の大馬主として栄えた原家は、明治の最盛期には馬小作も含めると3,000頭もの馬を所有していたという。
馬は主に木曽福島の馬市に出されたが、戦前には久々野にも馬市が立ち、子馬を預かる農家もあった。
軍馬として木曽駒が重用されなくなったのと農村不況をきっかけに、原家は斜陽となり、莫大な借金を抱えて昭和7年に破産した。

現在では、宝来門と倒れかけの塀しか残っていない。
保存されていれば開田高原の山下家住宅を凌ぐような豪邸だったと思われる。

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右手には石碑と石垣の上に並べられた石仏
多分、塀が倒れて石垣だけ残ったところへ、後日、周辺の石仏を集めたのであろう。
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馬に乗った大日如来
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左手の正門(檜作りの立派なものだが、陰になり写らず。)
塀の角には電気メーター。生活の名残。
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凝った造りの庇を見ても、金に糸目をつけず建てられたものだと分かる。

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宝来門の裏には庭園の名残がある。
正門の奥には、建物が残存。
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集落内(下村)の祭場の石仏
中央の大きいレリーフ状の石仏の彫りが素晴らしかった。
左が愛宕大神、右が秋葉大神。
明治20年とあるので原家が全盛期のころ、仏師を呼んで掘らせたものか。
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以下、道中で父から聞いた、戦前の久々野の馬市や、没落後に訪れた原家の様子をメモする。

(久々野の馬市)
・父母が少年のころなので昭和10年代であろう、久々野には年2回馬市が立った。
・売買されるのは木曽馬であった。
・市には馬を運ぶ馬喰やそれを買う商人が集まり、大変な賑わいで出店も出た。
・母は普段1銭の小遣いであったが、馬市では5銭もらって出店を回るのが楽しみだった。
・茹でた串のこんにゃくを八丁味噌の壺につけた、味噌おでんがうまかった。(飛騨ではおでんに味噌はつけない)
・男の子供は、馬喰から飼料にする草刈りを頼まれ、小遣い稼ぎをした。
・馬喰は馬の尻尾と「くつわ」をひもで繋いで、数頭を連結して運んだ。
・馬喰は腰に札束を挟んで、羽振りがよかった。
・父の家では組み立て式の厩を持っていて、庭には土台があり、市の期間だけ厩を立て馬を預かった。
・馬喰は家の座敷に泊めて金をとった。
・子馬を預かるときは、厩の床を深く掘り下げて、そこに子馬を入れる。(馬小作)
・飼料を投げ入れ、馬は糞をして床を踏み固め、どんどん穴が浅くなってくる。
・子馬を出すころには、床が逆に高くなっていた。

当時、既に原家は破産していた筈だが、まだ馬の売買は盛んであったようだ。

(原家訪問)
・父が裁判所に就職して間もないころというので、昭和27年ごろの話か。
・同僚と日和田に行く機会があり、村の顔役的な者の口利きで原家を訪問。
・家には兄妹が二人で暮らしており、妹が父と同僚を案内した。妹は30代に見えた。
・まだ広大な屋敷は現存しており、傘天井などを見学した。素晴らしい細工だったという。
・屋敷の土台はすべて大きな御影石であった。
・没落した富豪へのやっかみか、この兄妹のことを「にわとり夫婦」と陰口を言う者もいた(意味は不明)。
・木曽馬がだめになり、競走馬の飼育にも手を出したが、借金を増やすだけに終わった。

屋敷と共に朽ちていくのを待つかのような、兄妹の泉鏡花じみた暮らしぶりを想像してしまう。
二十歳そこそこだった父達は、興味本位で原邸を訪問したのだと思うが、何を感じたのか。
酒を飲むと一度ならずその話をするところを見ると、相当、印象に残る体験だったのだろう。
書記官だったくらいだから、文章を書くのは得意なはずで、その気になれば面白い短編でも書けそうな気もする。
けど、本人にはその気も無いようである。

馬大尽・原家については、飛騨高根観光協会長 小坂 守が書かれた下記の資料が詳しい。
公益社団法人 飛驒法人会だより 「飛騨の木曽馬と馬大尽・原家」


濁河経由で下呂に戻った。
御岳展望台には下界の猛暑を忘れさせる涼風が
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下呂の旅館に戻ると玄関に涼しそうな趣向
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下呂でも36度を超える猛暑日であった。





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by s_space_s | 2018-07-24 17:30 | 旅行 | Comments(0)
2017年 12月 14日

城崎にて(その2)

翌日はいつもより寝坊して、内湯の朝風呂に入ってから朝食をいただきました。
昨夜あれだけ腹いっぱいに食べたのに、宿の朝ご飯は美味しくて、3杯もお代わりしました。

チェックアウト後も宿に車を置かせていただき、温泉寺へ行きました。
山門を入った左手に湯呑場があって、源泉を飲んでみました。
塩っ辛くて少し甘い感じがして、とろっとした温泉でした。
胃腸に効くらしい。
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ロープウエイは9時からの運行なので、とりあえず温泉寺まで歩いて上がることにしました。
たぶん、運行してても歩いて上がったと思いますが。

アカガシやシラカシなど、岐阜のあたりと違う植生で面白い。
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皮一枚で生きているカシの木がありました。

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薬師寺のある中間駅。
このロープウエイは昭和38年にできたのだそうです。
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かみさんは十一面観音を観たそうでしたが、本堂の受付がまだ開いていませんでした。
あきらめて、ロープウエイの終点の大師山まで登山道を登ることにしました。
多宝塔までは石段がありましたが・・・
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その上は滑りやすい登山道になります。
ヒールの高い皮ブーツのかみさんには下りは厳しそうでした。
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大師山の山頂には金の観音様があり、どこにでもある観光スポットの雰囲気。
展望台からの眺めを楽しんだ後、ロープウエイに乗って城崎温泉に下りました。
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次は、わしのリクエスト。
玄武岩の名前の由来となった、玄武洞へ向かいます。
川沿いの駐車場に車を止めて、公園の階段を上がると、眼前に予想以上の岩場が現れました。
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節理が複雑に入り組んだ洞窟は、映画「エイリアン」のデザインで知られるギーガーを彷彿させるものです。

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玄武とは中国の空想上の獣神でカメと蛇が合体したようなもの。
ここで採れる岩がカメの甲羅模様に似ていることから、玄武洞と名付けられました。
明治17年に地質学者の小藤文次郎が岩石の日本名としてこの洞にちなんで玄武岩と名付けたのだそうです。

ここはかつて玄武岩の砕石場で、岩穴は人工的なものだったんですね。
左のほうの穴は地震で崩壊し塞がっています。
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公園内には何か所か洞が点在しています。
中でも美しいのが青龍洞です。

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もう一つ興味があったのは、松山基範が1926年にここの岩石が現在の地球の磁場と逆向きに帯磁していることを発見したお話。
それが地球の磁場の逆転説に繋がったということです。(地球の磁極は数十万年ごとに逆転するらしいよ)
わしも元々の位置にあると思われる露岩何か所かにコンパスを近づけてみました。
けど、磁針が反転するようなことはなく、かすかに帯磁していることが分かる程度でした。

案内所に入ってみると展示コーナーがあって、地磁気の説明と帯磁した岩の展示がありました。
コンパスを当ててみると確かに数十度針が振れて、帯磁していることがわかりました。
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大満足で、次の目的地、竹田城に向かいました。
但馬牛を食べてみるかという話も出ましたが、結局、但馬牛すじ肉のうどんを食べました。
わしらには、そのくらいが丁度いい感じです。

竹田城の北西の登山口には「山城の郷」という新しい観光案内所ができていました。
1時半ごろ駐車場に着くと誘導員から、もう登城はできませんと言われ、ショ~ック!
冬のシーズンは13時が最終登城時間となっていたのでした。
調べておかなかったわしらが悪い。
またもあきらめ、案内所のおねえさんに薦められるがまま、バーチャル雲海の写真を撮ってもらってお茶を濁します。

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未練がましく竹田城の石垣が少しだけ見える駐車場の奥に行ってみると、そこにいた誘導員のおじさんから次善策の提案。
雲海に浮かぶ竹田城の写真がよく紹介されているが、それは町を挟んで対岸にある立雲峡の展望台から撮ったもので、そこなら今からでも登れるとのことでした。
展望台までは立雲峡の駐車場から40分ほど登らないといけないらしいけど、途中からでも見えるかも。
行ってみることにしました。

竹田城人気にあやかって整備を進めているらしく、細いと聞いていた林道は拡幅工事中でした。
駐車場には他に1台しか駐車してなくて、先ほどの竹田城の登山口と違い寂れた雰囲気です。
雲海の見える秋のほかは、人もあまり来ないとこなのかと少し不安になるわしらでした。
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10分も登らないうちに第三展望台がありました。
それなりに城跡が望めるのだけど、まだ側面しか見えず、曇りのせいもあって立体感がありません。
もう少し登ってみることにしました。
これまた5分も登らないうちに第二展望台があり、気持ちですが、見え方がよくなってきたような気がしました。
こんなに近いなら40分かかるという第一展望台も鯖を読んでいるのじゃないかと思い、雪の残る遊歩道をさらに進むことに。
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登れど登れど展望台は現れず、結局40分ぐらいかかってやっと雪の積もった第一展望台に着きました。
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そのとき、曇っていた空から傾きかけた太陽が顔をのぞかせました。
おー!すぺくたきゅらー!

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雲海はありませんが、雪道を登ってきた甲斐があったと2人で喜びました。
わしらの後にも登城を拒否されてこちらに廻ってきた人達が何組か登ってきました。
同じ苦労を味わって連帯感がわくのか、お互い声をかけあったりするのでした。

いろいろあったけど、面白い旅行になりました。





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by s_space_s | 2017-12-14 12:30 | 旅行 | Comments(0)
2017年 12月 12日

城崎にて(その1)

すこし前から、かみさんと城崎温泉に行きたいねという話が出ていました。
志賀直哉の本を読んでみたりしましたが、なかなか具体的に考えられずに年末が近づいてきました。
かみさんは、来春ぐらいでよかったみたいですが、こういう話は思い立ったらすぐ計画を立てないと。

ネットの予約サイトでは、わしらには高級すぎるホテルしかありませんでした。
旅館協同組合に電話したらお手頃で場所もいい「つちや旅館」が予約できました。
温泉に入ってカニ食って、かみさんは温泉寺と「天空の城」竹田城、わしは玄武洞を観るのがメインエベントです。

おんぼろビッツでなるべく下道で城崎に向かいました。
この車、もう10年以上乗っています。
一昨年ぐらいからプラスチックのホイールキャップが割れたので全部外してしまいました。
黒いホイールがむき出しで、駐車場でもよく目立つし、ホイールキャップなんて飾りだと思っていました。
ところが先日、冬タイヤに交換するとき、センターハブが錆びついてCRCを塗って足で蹴飛ばさないと外れませんでした。
ちゃんと役目があるんですね。

閑話休題

時間があったので、舞鶴の赤レンガ倉庫群に寄りました。
赤れんが博物館では世界と日本のレンガの歴史を学べます。
レンガを焼くホフマン窯の内部です。
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赤れんがの中庭で

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赤れんがロードの懐かしい電柱

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海軍の魚雷を保管していた倉庫です。
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カフェで海軍カレーというのをいただきました。
自衛隊の砕氷船に乗っていた時も、やっぱり金曜日の昼はカレーと決まってました。

城崎温泉へは少し不安になるような県道の峠を二つ越えて着きました。
そこだけ吃驚するぐらい人がいて、まさしく観光地でした。
城崎温泉は外湯で発展してきた温泉街で、内湯は最小限しかありません。
旅館でフリーパスを貰って、近くの「鴻の湯」へ行きました。
夫婦円満の湯だそうです。
効果あったかな?

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温泉の湯は温まります。
温泉街を少し散策してから四所神社にお参りして、志賀直哉も歩いたであろう大谿川に沿った裏道で帰りました。

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仲居さんに撮ってもらいました。
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香住鶴の熱燗が最高で、何本もお代わり。
蟹の甲羅酒がうまくて、かみさんもこっちが心配になるぐらい飲んでいました。
翌日、道の駅で1升瓶を買ってしまいました。
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♪もう飲みすぎちまって
 きみをだくきにも~なれないみたい♪



夜のあいだ、外で水の音がずっとしていたので、雨でも降ったのかと窓を開けてみると。
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大谿川に面した部屋に泊まっていたのでした。




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by s_space_s | 2017-12-12 17:28 | 旅行 | Comments(0)
2017年 03月 09日

草間彌生ーわが永遠の魂ー

先日、東京へ出かける用事があり、ついでに国立新美術館でやっている草間彌生展を観てきました。
草間彌生は今見ると樹木希林みたいですが、「前衛の女王」で売り出した若いころは、結構かわいかったんですね。
なんでか知らんが、「ねじ式」のママさんを思い出してしまいます。

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昨夜は、よく飲んだので、近くのお粥の店でいただいた朝粥がおいしかった。
ホテルに戻って、またごろごろして、ゆっくりチェックアウトしました。

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まずは、水玉「南瓜」のお出迎え
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展示室1の「21世紀の草間彌生」だけ写真撮影が許可されていました。
自撮りしている人がたくさんいました。
皆さん「なにこれ分からん」などと言いながら、楽しそうでした。

写真の中央にあるのが「真夜中に咲く花」という題名の連作のひとつです。
このオブジェの前でじっと観ているわしを見て、かみさんが「食べられてしまうと思った」と言うほど、異様な迫力があります。

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好きな作品を携帯で撮って待受け画面にしてみたり。

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展示室2から初期作品
「玉葱」など静物を具象的に描いた作品をみても、個性があってすごい画力だと感じます。

展示室3はニューヨーク時代の作品が並びます。
映写室で16mmカラー映画「草間の自己消滅」の抜粋が上映されていました。
1960年代のサイケなBGMと気持ち悪くなるような映像で毒気にあてられました。

ステッカーの文字を無数に張り合わせたコラージュなどは普通にウォーホルぽかった。
銀色の男根?が椅子などに無数にくっつけてある作品群はあまり面白いと思いませんでした。

展示室4は帰国後の作品。
フリーハンドで自由に水玉を描いたものではなく、洗練されたデザインのような水玉作品が出てきます。
どうやって描くんやろう?

ミュージアムショップにはレジに1時間の順番待ちの列ができていました。
ポップアートでグッズになりやすい作品も多いので、そういうのを欲しがる人もいるんでしょうね。

展示室から出てくると、かみさんがロビーに座り込んで、ぐったりしていました。
「エネルギーを吸い取られた~。」


草間彌生は小説も書いているようです。
「クリストファー男娼窟」を読んでみたい。






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by s_space_s | 2017-03-09 12:02 | 旅行 | Comments(0)
2016年 08月 29日

28年ぶりの友達に会うこと

荘川で今シーズン最後のガイドをやった後、郡上大和に住んでいる高校・大学時代の友人Aの家に寄らせてもらった。

Aとは高校3年の時に同じクラスで名前の関係(わしがI)で席が前後になり、知り合った。
Aは高校・大学と演劇部、大学を出てからもWAY-夢という劇団を立ち上げ40前ぐらいまで頑張っていたらしい。
大学を出てから数年は行き来があったけど、その後連絡先もわからなくなり、会っていなかった。
半年ほど前、夕方のニュースを見ていて驚いた。
Aが昔とおんなじ顔をしてインタビューに答えているではないか。
それはAたちが郡上で立ち上げたIT関係のNPOの話題だった。

わしのほうは早い時期に部活もやめてしまい、いわゆるガリ勉野郎だったのだが、Aに言わせると何か変なやつだった。
記憶力のいいAから高校・大学時代の自分でも忘れてしまっているエピソードが色々出てきた。
「意外性のあるやつだった」とAは表現したけど、簡単に言えば、どこか価値観が普通の人とずれていたみたいだ。

Aがなんで郡上に戻ったのか、今なにを頑張っているのか、聞いていて「ああ、なるほど」と思った。
何かをなす人間って、こうでないといけないのだと思った。

Aの家の近くまで来て電話を入れると、Aの息子が走って迎えに来てくれた。
初めて会う奥さんはキッチンで料理しながら、時折話に加わる感じ。
夕食後、みんなで線香花火をする。
気の置けない、幸せそうなご家族で、楽しい時間を過ごさせていただいた。
気が付くと時計はとうに12時を回り、話は尽きなかったけど、翌日の予定もあったので床に入らせてもらった。

夜中に小便に起きるとまだテレビの音がする。
リビングを覗いてみるとAが短パン・Tシャツでソファで寝ているのであった。
郡上の涼しい夜風がカーテンを揺らしていた。








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by s_space_s | 2016-08-29 09:07 | 旅行 | Comments(0)
2016年 08月 24日

日間賀島家族旅行

名古屋に住んでいる長男坊から、何を思ったか、日間賀島へ遊びに行こうという提案があった。
夏休みで帰省していた下の坊主は翌日から大学の試験があるということで不参加。
東京から娘が合流し、4人で行くことになった。

わしは2日前ぐらいから腹の調子が悪く、不安を抱えての出発となった。
名古屋に出るJRの車内広告に不吉なコピー。
夏の誘惑 下痢の罠 by 正露丸

ナナちゃん(ウエディングドレス姿)の前で集合し、名鉄電車で河和に向かう。
昭和の雰囲気漂う車両に旅行気分も高まる。
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河和駅から河和港までは無料バスもあったが、徒歩で向かう。

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南国ムードの河和港

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河童の親子の言い伝えがあるらしい。

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高速船の出発時間まで1時間弱あったので、途中で看板を見かけた雨風食堂へ行ってみることにする。

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食堂は路地の奥


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若いご夫婦でやっている、古民家を改修した食堂は、沖縄の雰囲気(行ったことないけど)

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結局、食事する時間はなく、アイスコーヒーや紅茶を頼んだが、わしは我慢できず泡の出る飲み物を。
「夏の誘惑…の罠」が一瞬頭を過ったけど、これ美味すぎる。
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メニューと一緒にお店で使っている浄水器の説明があった。
中ほどに、「置いとくだけで、癒しロチ化する」???
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「癒しロチ化」の意味を女将さんに訊いてみると、「癒しロチ」とは癒される良いところという意味なのだとか。
さらに「ロチ」ってなんやと尋ねると、「分からないけど、カタログにそう書いてあったので」ということだった。
畳敷きの民家の離れには低く音楽が流れ、意味は分からなくても「癒しロチ」を体感するのであった。

注)イヤシロチは正しくは弥盛地と書くそうです。↔ 反対はケガレチ(気枯地)

高速船は満席で通学の女子高生なども。
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20分ほどで日間賀島西港に着く。
こちらのほうが観光施設が多く、乗客もほとんどここで降りる。
わしらはそのまま乗って5分ほどで東港着。

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タコとフグの島へようこそ。

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既に2時近かったので、「島のごはんやさん海」で軽く昼食(タコカレー、しらす丼など)。
迷路のような狭い路地を楽しみながら今日の宿へ向かう。

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タコ壺、タコ壺、タコ壺

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外観はアパートみたいな、民宿うえの荘
若い人たちは散策に出かけたが、わしらは風呂に入ってのんびりした。
持ってきた文庫本「夢で会いましょう(村上春樹・糸井重里)」を読む。

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お楽しみの夕食

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ヒラメ、タイラガイ、ホンミルガイの刺身、大アサリ・エビフライ、イセエビ、カマス塩焼、タコ飯など、海の幸がこれでもかと出てくる。
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名物、タコのまる茹で
タコを釣って茹でたことがありますが、こんなに柔らかくできなかった。
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後が怖いのでセーブしながら食べていたが、結局ほとんど完食してしまった。

部屋に戻るとまだ夕暮れどき。

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腹ごなしに、娘と散歩に出る。
海の向こうで遠く2か所、花火大会をやっていた。
打ち上げ花火が、線香花火のよう。
東に赤く大きな月が昇ってくる。

心配していた腹も大丈夫みたい。


翌朝5時、いつものようにかみさんの目覚ましが鳴る。
まだ眠そうな長男坊をおいて、3人で島一周6.6kmの散歩に出かける。
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島の東の岬に「ハイジのブランコ」がある。
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大きな松の木の枝に下げられたブランコ。
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海に飛んでいきそうで楽しい。
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人けのない朝のビーチ

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ひと雨来そう
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交番もタコ型

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宿に帰って朝風呂に入り、朝飯の美味いこと。
普段なら夕食でもこんなに「ご馳走」ありません。
泡の出る飲み物がしみる~!

若い人たちは、東港で釣りをするということで、先に宿を出る。
わしらはまた宿でのんびりしてから、ゆっくり出る。
女将さんにお土産までいただき、恐縮する。

また、迷路のような路地を辿って港に向かう。

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先発隊は防波堤の先端で釣っていた。
小アジが釣れるらしい。あと、ベラとか。
貸竿2本を交代で使わせてもらう。
餌のイソメが気持ち悪く、針に付けにくい。
ミミズなら平気なのにね。噛みつくからかもね。
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お昼まで遊んでから、竿を返しに行く。
手と顔を洗わせてもらい、冷たい麦茶をいただく。
昨日は満席で入れなかった食堂「たいかいろう」で昼食。
3種類の定食を頼み、4人で分けっこして食す。

隣のみやげもの店でタコ煎餅を買い求めるが、おじちゃんが娘にだけ干しダコをおまけしてくれる。
かみさんは後々までこのことを気にしているようであった。

来たときより大型の高速船には屋上にデッキがあり、海風に吹かれながら河和に戻った。
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バス停から、かみさんに日傘を差しかけられながら歩き、自宅にたどり着く。
郵便受けに"DJANGER BALI"というタイトルのあるCDケースが投げ込まれていた。
CDは入ってなくてケースだけ。
誰の仕業か見当はついた。












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by s_space_s | 2016-08-24 12:58 | 旅行 | Comments(2)
2013年 12月 16日

ジョセフ・クーデルカ展

先日の日曜日に姪の結婚式が東京・青山でありました。
当日の親族の集合時間が9時で、おなご衆は着付けも必要なので前日から近くのホテルに宿泊しました。
青山のあたりはおしゃれな店が多くて、歩いている人も芸能人みたいです。

ホテル25階 窓からの眺め
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結婚式は若いサーファーの2人らしく、始終いい雰囲気でした。
披露宴が2時過ぎに終わり、せっかく東京まで出てきたので、東京国立近代美術館で開催されているジョセフ・クーデルカ展を観てから帰ることにしました。
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この写真展は、職場に張られていたポスターで知りました。
コントラストの効いたモノクロ写真にまず惹きつけられたのですが、一番観たいと思ったのは、「実験 Experiments」と名付けられた作品群のなかの1枚の写真です。

この顔に見覚えがあるような気がしてしかたがなかったのです。
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題名を思い出せないのですが、あるモノクロのアニメに出てきたキャラクターのような気がします。(どなたか心当たりありませんか?)
グラフィックデザインやイラストのように見えますが、実際に観てみるとやはり印画紙に焼き付けられた写真なのでした。
「実験」という題名がついているように、クーデルカの作品全般がこのようにイメージが抽象化されるほど極端なコントラストを付けるスタイルというわけではありません。
しかし、他の作品にもリアリティのある風景の中に黒く塗りつぶした影を貼り付けたようなものがあります。
「エグザイルズ Exiles」の中の犬は物体としての犬というより「不安」を表す抽象的なものに見えます。
 
「ジプシーズ Gypsies」で被写体となる老人、男、女、子供たちのなかで笑っている者はほとんどいません。
驚いたような顔、不安な顔、撮影者を拒絶するような無表情な顔、荒涼とした生活環境。
クーデルカは後の作品群「カオス Chaos」において厳しい自然と朽ちていく文明の残滓を見つめました。
「ジプシーズ」でも、既にそれと同じ目で対象を捉えているように感じました。

出口にあった「カオス」の最後の作品がとても印象的でした(幅が3mほどもあります)。 
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たぶんクーデルカは廃墟マニアだと思います。

クーデルカの作品は下記のサイトでいくつかを観ることができます。
オリジナルのインパクトには当然及びませんが・・・。

アジェ・フォト ヨゼフ・クーデルカ (ジョセフ・クーデルカ)
Magnum Jazz & Photo  Josef Koudelka, Chaos








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by s_space_s | 2013-12-16 23:52 | 旅行 | Comments(4)
2013年 11月 13日

会津若松さざえ堂

会津若松市にある「会津さざえ堂」へ行ってきました。
1796年に建立されたこのお堂は非常にユニークなデザインです。
二重らせん状の通路があり、入り口から時計回りに上っていくと最上段に着き、そのまま反対の通路を反時計回りに降りていくと自然に裏の出口に着くという構造になっています。
かっては、通路沿いに三十三観音像が安置されていたそうです。
ぐるっと回ってくるだけで西国三十三ヶ所を巡礼するのと同じ御利益があるというお手軽な霊場でした。
明治初期の廃仏毀釈で三十三観音像は他の場所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が掛けられています。
それを知らなかったので、御利益があるかもしれないと、額に書いてある物語を順番に読んでいきましたが、時間が掛かるし、養老の滝の話など道徳の話が書いてあり仏教とは関係がないようなので、途中で匙を投げました。

磐越西線の車窓から見る秋の田園風景と磐梯山の景色が心に残りました。
それにしても、猪苗代湖の西のあたりの磐越西線は、何であんなに曲がりくねっているのでしょう?
飛び乗った電車は、快速なのに特急みたいでちょっとレトロな雰囲気。
撮り鉄のおじさんが線路沿いに狙っているのをちらほら見かけました。
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お昼に着いたので、駅構内の蕎麦屋で新蕎麦をいただきました。
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会津若松市内を巡回する観光バスに乗って、「飯盛山下」下車。
白虎隊のお墓がある飯盛山の中腹に「さざえ堂」はあります。
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痛めた膝に階段がきついので左手の坂道から登ることにしました。
すぐに水路に囲まれた弁天様(現在は厳島神社)に着きました。
鳥居の後ろの両脇に立つ2本の大杉は大変立派です。
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水路の水源は、戦いに敗れた白虎隊の少年20人がくぐった人口の洞窟水路です。
当時と変わらず澄んだ水を滾々と吐き出していました。
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横から眺めるお社と大杉
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さらに坂道を登ると、お目当ての「さざえ堂」
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らせん通路は、階段ではないのでありがたや。
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最上段の天井にはお札がいっぱい
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土足OKなので通路が雨で濡れていて、下りは滑りそうでちょっとこわい。
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夢のお告げでこんなデザインができたとは面白い。
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白虎隊のお墓にお参りし、自刃の地から雨に煙る鶴ヶ城を眺めてから、往路を下山しました。
登り口で、食べると災難にあわ(粟)ないという、粟まんじゅうをいただきました。
確かに小鳥の餌の味がしました。
美味しかったです。(念のため)

会津さざえ堂公式サイト
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by s_space_s | 2013-11-13 22:25 | 旅行 | Comments(3)
2012年 11月 22日

チェジュ島ソンサンイルチュルボン

ハンラ山登山の次の日は世界遺産にもなっているソンサンイルチュルボンへ行きました。
この山は城山日出峰とも書き、海面にできた噴火口で、182mの巨大な岩山です。
噴火口は草原のようになっていますが、貴重な植物群を保護するため噴火口の縁までしか行けません。
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今日もバスターミナルがスタート地点です。
途中のパン屋さんでコーヒーと焼きたてパンで朝食をとりました。
ターミナルの面白いデザインはガウディの真似でしょうか。
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お婆さんと子供はモニュメントです。
違和感ないでしょう?
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ソンサンまで3000W。240円ぐらいです。
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車窓からは、遠くにハンラ山、手前には牧場が眺められます。
お墓だと思いますが、どのお墓も石で四角く囲ってありました。
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海風が強い済州島の郊外では家も畑もみんな不揃いな火山岩の石積み塀で囲まれています。
土地の値段はこの岩が多いほど高いのだそうです。
南極のペンギンみたいです。

1時間20分ほどでソンサンに着きました。
町の奥に見えているのがイルチュルボンです。
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ここは完全に観光地化されていて,大きな駐車場には観光バスがずらっと並んでいます。
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中国の人がやけに多いような気がします。
公園入口で3000Wを払います。
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道は頂上まできれいに舗装されていて特に登山装備は必要ありません。
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途中から急な階段となり,中腹には岩塔があったり,展望台があったりします。
眺めは最高です。
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噴火口の縁まで登り着くとテラスになっていて,草原のようになった噴火口が見渡せます。
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不思議な景色です。
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ソンサン港
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イルチュルボンの北壁,垂直180m。
韓国のクライマーは登ってるのかしら?
わしには登れるようには見えませんでした。
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時間があったので,イルチュルボンの頂上からも見えていた隣の小島ウド(牛島)へ渡ってみることにしました。
ソンサン港まで山の上から見たより遠かった。
現地の人に道を尋ねながら歩きました。

ソンサン港のチケット売り場
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ハンラ山でおじさんに聞いてたより大きなフェリーでした。
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若い子が結構乗ってます。
携帯でパシャパシャやってるのは日本と変わりません。
途中でイルカの群れも現れてみんな大喜び。
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若者には,レンタサイクルやバギーで島を回るのが人気のようでした。
わしらは自転車で回る気力もないので,乗り降り自由の周遊バスに乗りました。

ウドはミニ済州島とも言われ,チェジュの伝統的な暮らしが残っている島です。
本島も含め,カラフルな屋根と白い梁を持った平屋の民家が多い。
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土地はやせていてピーナッツ,ニンニクなどしか出来ません。
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灯台のある牛島峰。
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斜面は牧場になっており,馬が飼われています。
乗馬もできます。
逃げ出した馬が寄ってきてびっくり。
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ウドは昔から軍馬の飼育が盛んだったようです。
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おばちゃんにバス停を訪ねようと店を覗くとピーナッツ・マッコリというのがあって頼んでみました。
コップに1杯かと思ったら,ボトルで出てきて,あとは2人でラッパ飲みしながら歩きました。
ピーナッツの風味がほんのりしてなかなか美味かった。
つまみはおでん。
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牛島峰を裏から見る。
ボートに乗って岸壁に開いた洞窟に入れるようでした。
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またバスに乗って西賓白沙(珊瑚砂海水浴場、天然記念物)で降りました。
遠くにイルチュルボンが見えます。
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チェジュには白い砂なんかないはずなのに・・・。
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よく見ると,珊瑚や貝殻の細かくなった砂なのでした。
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港に戻り,またフェリーに乗って,
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楽しかった島を後にしました。
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ソンサン港で乗ったチェジュ行きバスが出発し暫くして,来たときと違う道を走っているとかみさんが言い出しました。
大丈夫?と心配そうな様子。
行き先は確認したので,たぶん大丈夫・・・。

結局,このバスは路線図に載っていないバスで,山間部を縫うように走り時間はかかりましたが,景色が楽しめました。


明日は日本へ帰るだけ。
あっという間の済州島旅行でした。
足が丈夫で,こんな手作りの旅が楽しめるかみさんに感謝。
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by s_space_s | 2012-11-22 12:26 | 旅行 | Comments(0)