blog版 がおろ亭

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カテゴリ:山登り( 227 )


2019年 02月 13日

立山山麓の与四兵衛山623m

国立登山研修所で開催された積雪期登山基礎講習会に行ってきました。
那須の雪崩事故をうけて、高校の山岳部等を指導される先生方に積雪期登山技術の指導方法とリスク管理を学んでいただく講習会でした。
中でも、多くの時間が当てられたのが、「積雪と雪崩」「雪崩サーチ&レスキュー」に関する講習。
S講師から雪崩捜索救助(AvSAR:アブサー)の最新情報も取り入れた講義と実技講習があり、わし自身も勉強になりました。
S講師の作成した資料は、そのうちヤマケイにも掲載されるそうですよ。

アブサーについては、日本雪崩捜索救助協議会から詳しいマニュアルが公開されています。

わしが担当した班は、高校の先生ではなく山岳会や登山用品店からみえた方々でした。
講習は研修所の周辺地形を利用した模擬的なものだったので、一緒に担当したY講師との相談で、やっぱ「どこか山に登ったほうがいいよね。」ということになり、選んだのが研修所から3キロほど西にある与四兵衛山でした。
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この山は、南面・北面が非常に急峻で研修所から見ると非常に尖って見えます。
後で知ったのですが、神が降り立つ処として立山信仰にも関係が深いピークだそうです。
この山から刻印のある巨岩が発見されているそうです。

地形図から、東尾根上には難所がありそうな気がしました。
やはり2か所の岩場があって、小粒ながら面白い山でした。

わしのかんじきは「立山かんじき」と呼ばれるもので、芦峅寺で昔から作られてきたものです。
与四兵衛山を冬に登るのに、ふさわしい道具でしょ?
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山岳会に入ってすぐ購入したので、既に35年ほど使っていることになります。
スキーで行くことのほうが多いので、ヘビーユーザーではなかったけど、それにしても丈夫な道具だと思います。
残念ながら、作ってみえた佐伯さんが昨年末で引退されたそうです。
手に入れるなら今のうちですよ。




by s_space_s | 2019-02-13 12:42 | 山登り | Comments(0)
2019年 02月 01日

国土地理院の地形図が大きくなった。

何を今頃と言われそうだが、久しぶりに国土地理院の地形図を書店で購入したら、図郭(地図の部分)が大きくなり余白が少なくなっていて驚いた。
新規格による地形図は平成15年から刊行が開始されたらしい。
ここ何年か、インターネットから印刷した大縮尺の地図で登山をしていて、2万5千図は計画段階で地形の概要を把握するぐらいにしか使うことがなく、新しい地図を購入する機会がなかった。
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大きくなった主な理由は、東西南北に隣接する区画との重複部を設けてあるため。
昔のように図郭に沿って折った地図を並べると数センチが重なってしまうことになる。
日本測地系による図郭の位置もマーキングされているので、その位置で折れば昔のような使い方もできるけど、せっかく印刷されている隣接情報が見えなくなったり、擦り切れたりするので、もったいない。

昨年の登山研修所の地形図の講義で、S木先生が小ネタとして、九州の地形図と北海道の地形図ではどっちがお得かという話をしてみえた。
答えは、九州のほうで、理由は同じ値段で図郭の面積が大きいからだそうだ。
旧の図郭は緯度方向に5分、経度方向に7分30秒と固定されていたので、極に近づくほど幅が狭くなっていた。

新しい図郭では緯度方向は5分40秒(重複は20秒)で固定なのに対し、経度方向は宮古島で7秒40分、稚内で9分50秒というように北に行くほど大きくなっている。
これは北に行くほど重複部を大きくして、印刷時の図郭の幅をある程度同じ感じにするための設定だそうだ。
なので、九州の地図も北海道の地図も今では損得なしになったわけだ。
S木先生、もうこのネタ使わないでね。

新しい地形図は、谷の部分に影がつけられ、立体的に見えるようになっている。
これは地図アプリのジオグラフィカで赤色立体地図として使われているのと同じもの。
すこし控えめな陰影になっているが、谷や尾根を直感的に捉えることができ、地図に慣れていない人には使いやすくなった。

昨晩は、三匹のおっさんで酒を飲んだ。
お二人も地形図の新規格のことはご存じなかった。
紙の地形図がいつまで生き残るのか、なんとも言えないけど、山の話をするにはこっちのほうがいい。
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くしびきの後は、いつものダブルサイダー。
聴きたいと思っていた、ジミヘンの "Blues" がやっぱりあった。
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by s_space_s | 2019-02-01 12:31 | 山登り | Comments(0)
2019年 01月 28日

★★沢登り記録(地域別)★★

ブログ掲載の沢登り記録を整理してみました。
それ以前の記録はこちらをご覧ください。


こちらをご覧ください

by s_space_s | 2019-01-28 20:08 | 山登り | Comments(0)
2018年 12月 11日

岩村の三森山1100.7m

日本中が寒波に襲われた12月の第2土日で旅行を兼ねて岩村の三森山へ行ってきました。
雪はありませんでしたが、たくさん着込んで歩いていても体が温まらないほど寒かったです。

第1版の「岐阜県の山」には取り上げられていたけど、第2版からは落とされた山で、気になっていました。
東濃の山らしくヒノキの植林主体の山です。
三十三の石仏、何ヵ所かの展望地、イワカガミのすごい群落などあって、楽しめる山だと思いました。
三森神社の参道から登り、三森山を時計回りに縦走し、鈴ヶ根からダムに下るコースで4時間ぐらいです。

登山口よりかなり手前にある一番目の石仏
多くの石仏は寛政7~9年(1795年ごろ)に建立されたもの。
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登山口の鳥居
しめ縄が低いのは頭を下げさせるため?

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石仏は2体並んでいる所が多い。
右の石板は案内板で文政4年(1821年)に設置されたもの。
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色んな表情やお姿の石仏があって、登りでも退屈しない。
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赤松の大木が多い。
七本松と命名されていた大木は立ち枯れて倒れてしまっていた。
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石造りの水舟
横の沢から水がひいてあるが、枯れていた。
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そのすぐ先に大規模林道の工事中
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三森神社は寛永17年(1640年)に開山された由緒ある神社
恵那山で天照大神がお産したときに臍の緒を切った神鎌が納められていたという。
現在の社屋は平成2年に建て替えられたもの。
左の建物は避難小屋で、真ん中に囲炉裏があり、快適そうだった。
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神社の奥の展望地からは農村景観日本一の眺め
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神社の水舟の水が固く氷っていた。

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三森山の三角点に向かう道

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左観音という標識があったので寄ってみる。
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奥の院には観世音菩薩が祀られている。
貞享3年(1686年)に建立された古いものらしい。
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イワカガミの群落の中に立つ石仏
開花の時期には見事だろう。

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三森山は、いい感じのピーク

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せっかくなので三十三番の観音様に会いに行く。
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その奥には帝釈天

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お社の前で温かい飲み物を作って休憩した。
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水晶山へ向かう尾根は、最初、急な痩せ尾根で注意
図根三角点のある辺りからは笹の林床の広い尾根となる。
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鈴ヶ根展望地手前に仮設トイレがあった。
展望地からは三河湾が望まれる。
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岩村ダムへの緩やかな尾根は昔からの道のようで、石仏もある。
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広くて歩きやすい道

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お昼過ぎに下山し、宿に向かいました。






by s_space_s | 2018-12-11 17:43 | 山登り | Comments(0)
2018年 12月 03日

冬支度

近場のフリークライミングが続いていたので、まだ全然スキーモードになってません。
日曜日も岩登りしようと思いましたが、コウムラに振られたので、初滑りに使うスキーの準備をしました。
ビンディングは高くていくつも買えないので、自分でインサートビス加工して使いまわしています。

夏にてれカズさんに連れて行ってもらったサマーゲレンデで使ったヌーニョに付けていたスイッチバックを、ウエイバックに載せかえました。
サマーゲレンデ用にチューンナップしてもらったヌーニョのエッジはまだバリが残るほどトキントキンです。
もう一回行きたかったけど、結局、行きそびれました。
来年に取っておこう。(気が長い話)

スイッチバックX2のスプリングはかなり強くて、既定の前圧をかけようと思うと、ヒールピースを起こすときにヒールピースのほうが負けてしまい、ワイヤーが外れるトラブルが何回かありました。
太めの針金でワイヤーとヒールピースを縛っておきました。

ビーコンのチェックも兼ねて、部屋の中でグリッドサーチの練習をしました。
今シーズンはマムート投入の予定ですが、まだ入荷していないようです。
あと、シールのアイロンがけすれば、行けそうかな。

午後は、少しだけ負荷をかけて裏山を2時間ほど歩きました。
タカノツメの落ち葉がたくさん落ちていました。
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今日は乾燥していたので匂いませんでしたが、雨で湿っているときなど、この落ち葉は甘~い匂いがします。
例えると、熟したバナナみたいな。
これは、マルトールという成分から出る匂いで、カツラの落ち葉のキャラメルのような匂いも同じ物質だそうです。
けど、他の有機成分が違うためか、わしにはカツラとは違う匂いに感じます。
どちらにしても、大好きな香りです。

タカノツメは同じウコギ科のコシアブラと樹皮も葉っぱも似ていますが、前者が三出複葉なのに対し後者は五出複葉なので区別できます。

コシアブラ
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夕方、久しぶりに映画を観に行きました。








by s_space_s | 2018-12-03 12:40 | 山登り | Comments(0)
2018年 11月 24日

何やってんだか。

晴天が約束された三連休。
立山あたりに初滑りに行く気力もなく、近場でお茶を濁しています。
1日目はNさんちで重箱の隅をつつきました。
思っていたラインの可能性は見えましたが、それが何の意味があるのか自分でもよくわかりません。
登りたいラインだから登るというのが一番シンプルでいいのですが。

今日は、病のため飯が美味しく食べられなくなってしまった茸好きの父のためにナメコを採りに行く予定でした。
朝、揖斐へ向かう途中の気温計は1℃の表示。
予定の場所は沢にルートを取るところでした。
結局、濡れるの避け、途中に登山口のあった小津権現に登ってしまいました。

ブナ爺はまだ立っていました。
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ぼろぼろのズック靴が冷たい。
軍手も凍りついてきます。
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頂上でおにぎりを食べる
揖斐川が光りながら蛇行している
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左が能郷白山。右奥には真っ白な白山
今頃、早川先生とか滑っているのかな。
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ナメコも全然なく、この尾根を降りる気にもなれず、矢中谷林道経由で下山して3倍時間がかかりました。
赤い実が沢山生っている面白い木がありました。
黒く熟したような実もあったのでかじってみて、まじ~!
後で調べたらイイギリでした。

早めに家に帰り、近所の中華料理屋でご馳走をテイクアウトして夕飯を両親と食べました。
それはそれで良かった。

日曜日の朝は、いつになく布団から出られませんでした。
7時のニュースを見ながらコーヒーを淹れて、菓子パンを食べました。
今度、やらせてもらえるかもしれないNHKの山番組を観てから、時間があったので村上春樹の小説を少し読んで、冬タイヤを買いに行きました。

午後はまたNさんち。
駐車場でコウムラと待ち合わせのはずが、時間になっても来ません。
20分ほどぼけ~っとしているとコウムラから電話が入りました。
何の行き違いか、美濃加茂の岩場で待っているとのこと。

しかたないので、一人でNさんちの岩場のクリーニングしただけで終わりました。
暖かい1日で、クライミング日和でした。






by s_space_s | 2018-11-24 20:18 | 山登り | Comments(6)
2018年 10月 29日

久々のHP更新など

HTMLのタグを打つのが面倒なのと、FTPでアップするのに一手間かかるため、1年ほどホームページを放置してました。
1ヶ月以上更新していないと、広告がかってに張り付けられて気になっていました。
ネタでは大したものがありませんが、ホームページに記録を整理してみると、ブログとは違った良さがあるような感じがしました。
昔の記録を読んで、当時何を考えて登っていたのか思い出されたりするのも、面白かった。

錫杖登攀年表を更新するために、これも久々にロクスノを買いました。
小野寺さんのV字壁の新ライン「シールド5.11cR」の情報が載っていたので。

佐藤さん、増本さん、横山さんなどののクライミング記録には「ほ~!」と感心するだけですが、けんじり君の滝登りの記録や、はるちゃんのギアねたの連載(最終回)などもあり、わしみたいな者にはロクスノなんて読む記事ないわと思っていたのに結構楽しめました。

なかでも中根さんの、モトクロスレーサー用のパンプ予防デバイスの話は興味深かったです。
わしも、昨日Nさんちのプロジェクトを登る前にやってみました。
いつもならパンパンになる前腕が登った後も弾力性があるみたいで、ytさんも触ってみて感心していました。
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肝心のラインのほうですが、少しずつ前進している感はあります。




by s_space_s | 2018-10-29 12:47 | 山登り | Comments(0)
2018年 10月 11日

乗鞍岳土樋池踏査、大丹生池再訪(その2)

先日、乗鞍の土樋池と大丹生池を踏査して、下山後、いろいろな疑問が湧いてきました。
本当なら、図書館に行って文献にあたるとかすべきでしょうが、やはり、この山に精通した方にお聞きするほうが早いと思い、飛騨山岳会のお二人の長老、島田氏と木下氏にお尋ねしました。
以下、そのご回答です。

Q1:大丹生池の水はどこに流れているのか。

A1:乗鞍西面は、火砕流が流れたあとで全てが熔岩。そのため平地にある池は、水は貯まるが、ある時期に抜けてしまう。布引の滝の水は、熔岩の中の伏流水。(島田氏)

ということで、どこへ流れるとかではなく、岩盤にある穴?に吸い込まれているようです。
これは基本的には土樋池も同じだと思います。

Q2:土樋谷中流の炭焼窯跡があったが、針葉樹林帯で炭焼が行われていたのか。

A2:籏鉾には、平金鉱山という明治、大正時代に2千人を超える大鉱山があり、学校もある一大部落があった、鉱山の精錬所で使う炭を焼くため、丸黒尾根の反対側まで、炭焼きで木は全て切り尽くされた。鉱山周辺のいたる所に炭焼き窯があった。(島田氏)

鉱山で使う燃料のためなので、どんな樹種でもいいわけだ。
金平鉱山のお話しは青年の家にいたころに聞いていました。
昔登った恵比寿尾根も若い針葉樹が多かった。
鉱山があったころは、このあたりは「もののけ姫」のような感じだったのでしょうか。

Q3:土樋池の読み方

A3:読み方は、ツチトイイケです、古い地元の案内書には、(大正、昭和初め)ツチトイ(つちとひ)、ツチトヨ、など仮名を打ってあるものがありますが、今は地元では、ツチトイと言っています。(島田氏)

木下氏からは、地元の方の呼称として「つちどよいけ」をいただいた。

Q4:籏鉾の石碑にある行者「無盡秀全」の開拓した登山道はどこを通っていたのか。

A4:
島田氏からのご回答
昔の登山道は、
赤川新道、最後まで残った道、今は無い。
蛇出道、五色ヶ原から鶴が池へ登り着く。
池之俣大丹生道、大丹生池から桔梗ガ原。
私は、赤川新道は旗鉾の人の案内で登りました。

木下氏からのご回答
旗鉾にある石碑は、明治27年に乗鞍へ石碑を上げようとした修験者木食秀全のものです。
このとき通ったのが「蛇出道」。
貴兄が登られたルートには「池之俣大丹生池道」がありましたが、いづれも昭和のはじめに廃っていたようです。   

木下氏からは、飛騨の郷土史研究会の紀要に書かれた「乗鞍岳登拝路の盛衰」という地図付きの詳細な資料もお送りいただきました。
前記事に添付した地図の池之俣大丹生池道のラインはその資料を参考にしています。
旧道では、土樋池~大丹生池間は、わしらのラインではなく、大丹生池北の鞍部を乗越しているようです。

紀要文章を引用させていただきます。
⑨池之俣道
池之俣御越谷を遡り、途中から尾根を越えて土桶池、大丹生池を経て土俵ヶ原へ出る。江戸期に鉈削り(ナタバツリ)の円空が、大丹生池に木端仏千体を池底に沈めたという話が残っている。この時は金山道を経たようだ。土桶池、大丹生池へは古くから山麓の人々が雨乞いに集団登山しており、この時の道である。
大正七年(一九一八)八月には、丹生川村青年会と軍人会の約四〇〇名が蛇出道から登って室堂に泊まり、翌日大丹生池、土桶池を訪ね、この道を下っている。

氏によれば、既に廃道となっていたこの道のほかにも、昭和初期の最盛期で8本もの登山道があったということで、その歴史について興味深いお話が記述されていました。

以上、その道を極めた諸先輩の造詣の深さに頭がさがったという、後日談でした。





by s_space_s | 2018-10-11 12:32 | 山登り | Comments(0)
2018年 10月 10日

乗鞍岳土樋池踏査、大丹生池再訪

まっちゃんが、かねてから温めていた計画にご一緒しました。
純粋にそこに行ってみたい、地形はどうなっているのかという興味から出たものです。
登攀的に価値があるとかいうのではないのが面白い。

目的地は、乗鞍の土樋池です。
上流っぽく見える大丹生池や中間の堰止湖跡にも興味津々。
行ってみて地形がどうなっているかこの目で検証するのが大事だと再認識した山行でした。

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国土地理院の電子地形図にルート等を追記して掲載


地形的には池之俣発電所のある土樋谷川に流れ出るはずの土樋池の水ですが、ほとんどの部分が伏流しており、谷の中は苔むした巨岩のゴーロ歩きが延々と続きます。
中流には炭焼釜跡がありました。
シラビソなど針葉樹の森でどうやって炭焼をしたのか不思議でした。
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H1880mあたりに支流から水が流れ込むところがあり、波板などの人工物ときれいな池がありました。
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土樋池からは水が流れ出していました。
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池にはどこからも水が流れ込むところがありません。
ときおり底から泡が浮き出すので、伏流水が沸いているのかもしれません。
紅葉が素晴らしい。
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ナラタケ豊作
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樺の皮で焚きつけます。
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新規投入の丸飯盒デビュー
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火の粉が天に昇り、天の川に白鳥座
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池の水で自炊。
途中で採ったキノコで作った具沢山ラーメンがうまかった。
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まっちゃんの持ってきた、レメディに使うアロマエッセンス?入りのブランデーで静かに夜は更けていきました。
夜中にフクロウが鳴いていました。


朝は濡れた地下足袋が氷っていました。
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湧水のせいか湖面には霧が
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一段上流にある堰止湖跡
水流の跡はありましたが、水がない。
上から眺めると、気分はもうジャングル大帝。
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大丹生池下の急斜面
ほとんど沢型がありません。
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大丹生池には雪のある時に来たことがありました。
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雪がないときのほうが神秘的な感じです。
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上流からかなりの水量の沢が流れ込んでいました。
大丹生池の水は土樋池のほうではなくアザミ平のほうへ抜けているのでしょうか。
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土樋池谷の下降は、まっちゃん流に言うと「不快調」そのものでした。
エノモトさんの記録にあるとおり、落とし穴がそこら中にあり、わしはその一つにやられてしまいました。
その後は、足をひきずり、まっちゃんを待たせながら我慢の下山になりました。

滝登りもナメ床もゴルジュもない沢歩きでしたが、充実した~!と言える山行でした。
大丹生池、土樋池のあたりにはスキーでまた来てみたいと思います。


籏鉾のバス停横にあった石碑が気になりました。
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以下に引用します。

史跡
石碑「無盡秀全 三十六童供養塔」 員数 一基

明治初期、木喰行書「無盡秀全」が乗鞍岳への登山道を開き、沢上集落から乗鞍岳頂上までに、三十六本の石製道標を設置した。
この道標は1本約二百キロで、童子が刻まれている。現在は肩の小屋から頂上までに三体の像が現存している。
丹生川町地内には、この行書が木っ端により書いた掛け軸が多く残っている。

平成十四年七月二十四日 指定
高山市教育委員会

下山後湧いてきたいくつかの疑問について、飛騨山岳会の諸先輩に質問してみました。






by s_space_s | 2018-10-10 22:31 | 山登り | Comments(2)
2018年 10月 01日

石徹白の鍋倉平(美濃禅定道)

白山順禮というサイトに、白山中居神社から尾根や谷筋を辿り大杉のある今清水社まで通じていた禅定道を歩いた記録が載っていました。
わしは今まで、中居神社から大杉までは昔も石徹白川沿いに道があったと思いこんでいました。
この古の道に興味が湧いてきました。

上記のサイトの管理人の方は、想像するに修験者ではないかと思います。
昔の禅定道周辺を季節を問わず何回も歩き、礼拝所で念仏をあげられています。
この時も1日で昔の道を往復してみえます。
相当、健脚な方です。
地図を公開されていないので、文面からルートを想像すると、こんな感じになりました。
(クリックしてね)
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この地図を作っていて思い出したのが、6年前、石徹白文化祭を見学したとき、小学校の廊下に掲示してあった絵地図です。
この地図は、聞くところによると、石徹白にみえた先生(役場の方?)が書かれたもの。
かなり以前にはインターネットにも公開されていました。
国土地理院の地形図を基に、美しい手書きで石徹白地区の史跡や地名、湿原、谷、滝などのランドマークが記載されていました。
残念ながら、現在は公開されておらず、ダウンロードしとけば良かったと悔やまれます。
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小学校でこの地図を見たときに、コザエモンさんと何枚かに分けて写真を撮りました。
この地図なら、禅定道のコースも描いてあるかもしれないと思い、外付けのハードディスクに入っていた写真を確認すると、ちゃんと禅定道が描かれていました。ラッキー!

さっそく地形図に写してみました。
女人禁制で女性はここで帰されたという美女下平の美女下社跡。
立山の美女平となにか関係があるのでしょうか。
伝説のある斧石(よきいし)、犬石。
垢離かき場など、興味深いものがいっぱい並んでいます。
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雨模様の休日、やることがないので鍋倉平に行ってみました。
ルートは禅定道ではなくナベクラ谷からの往復です。
ナベクラ谷は、鍋倉平までは非常に傾斜の強い谷で、途中2段10mほどの滝があります。
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鍋倉平は広い平坦地で、不思議なところでした。
よくあることですが、谷は地形図の水線とは違うところを流れています。
絵地図にあった水芭蕉は確認できませんでした。
石徹白の周辺では出作り・焼き畑が昔から行われてきましたが、このあたりも人が住んでいたのかもしれません。
現在は、平らな部分は全て杉の植林となっています。
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上流二俣まで遡行し戻りました。
そのうちに、コザエモンさんを誘って中居神社から大杉まで通しで歩いてみたいと思っています。





by s_space_s | 2018-10-01 20:18 | 山登り | Comments(4)