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2018年 12月 11日

岩村の三森山1100.7m

日本中が寒波に襲われた12月の第2土日で旅行を兼ねて岩村の三森山へ行ってきました。
雪はありませんでしたが、たくさん着込んで歩いていても体が温まらないほど寒かったです。

第1版の「岐阜県の山」には取り上げられていたけど、第2版からは落とされた山で、気になっていました。
東濃の山らしくヒノキの植林主体の山です。
三十三の石仏、何ヵ所かの展望地、イワカガミのすごい群落などあって、楽しめる山だと思いました。
三森神社の参道から登り、三森山を時計回りに縦走し、鈴ヶ根からダムに下るコースで4時間ぐらいです。

登山口よりかなり手前にある一番目の石仏
多くの石仏は寛政7~9年(1795年ごろ)に建立されたもの。
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登山口の鳥居
しめ縄が低いのは頭を下げさせるため?

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石仏は2体並んでいる所が多い。
右の石板は案内板で文政4年(1821年)に設置されたもの。
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色んな表情やお姿の石仏があって、登りでも退屈しない。
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赤松の大木が多い。
七本松と命名されていた大木は立ち枯れて倒れてしまっていた。
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石造りの水舟
横の沢から水がひいてあるが、枯れていた。
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そのすぐ先に大規模林道の工事中
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三森神社は寛永17年(1640年)に開山された由緒ある神社
恵那山で天照大神がお産したときに臍の緒を切った神鎌が納められていたという。
現在の社屋は平成2年に建て替えられたもの。
左の建物は避難小屋で、真ん中に囲炉裏があり、快適そうだった。
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神社の奥の展望地からは農村景観日本一の眺め
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神社の水舟の水が固く氷っていた。

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三森山の三角点に向かう道

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左観音という標識があったので寄ってみる。
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奥の院には観世音菩薩が祀られている。
貞享3年(1686年)に建立された古いものらしい。
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イワカガミの群落の中に立つ石仏
開花の時期には見事だろう。

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三森山は、いい感じのピーク

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せっかくなので三十三番の観音様に会いに行く。
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その奥には帝釈天

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お社の前で温かい飲み物を作って休憩した。
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水晶山へ向かう尾根は、最初、急な痩せ尾根で注意
図根三角点のある辺りからは笹の林床の広い尾根となる。
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鈴ヶ根展望地手前に仮設トイレがあった。
展望地からは三河湾が望まれる。
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岩村ダムへの緩やかな尾根は昔からの道のようで、石仏もある。
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広くて歩きやすい道

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お昼過ぎに下山し、宿に向かいました






by s_space_s | 2018-12-11 17:43 | 山登り | Comments(0)
2018年 07月 24日

日和田の馬大尽の話

父は昭和7年(1932年)飛騨の久々野の生まれ。
その父から、若いころ日和田の馬大尽の家を訪問した話を聞いたことがあり、興味を持った。
父母を連れて下呂温泉へ行く機会があり、足を延ばして久々野で墓参りした後、日和田の旧原家邸宅跡を訪ねた。

江戸時代から木曽馬の大馬主として栄えた原家は、明治の最盛期には馬小作も含めると3,000頭もの馬を所有していたという。
馬は主に木曽福島の馬市に出されたが、戦前には久々野にも馬市が立ち、子馬を預かる農家もあった。
軍馬として木曽駒が重用されなくなったのと農村不況をきっかけに、原家は斜陽となり、莫大な借金を抱えて昭和7年に破産した。

現在では、宝来門と倒れかけの塀しか残っていない。
保存されていれば開田高原の山下家住宅を凌ぐような豪邸だったと思われる。

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右手には石碑と石垣の上に並べられた石仏
多分、塀が倒れて石垣だけ残ったところへ、後日、周辺の石仏を集めたのであろう。
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馬に乗った大日如来
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左手の正門(檜作りの立派なものだが、陰になり写らず。)
塀の角には電気メーター。生活の名残。
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凝った造りの庇を見ても、金に糸目をつけず建てられたものだと分かる。

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宝来門の裏には庭園の名残がある。
正門の奥には、建物が残存。
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集落内(下村)の祭場の石仏
中央の大きいレリーフ状の石仏の彫りが素晴らしかった。
左が愛宕大神、右が秋葉大神。
明治20年とあるので原家が全盛期のころ、仏師を呼んで掘らせたものか。
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以下、道中で父から聞いた、戦前の久々野の馬市や、没落後に訪れた原家の様子をメモする。

(久々野の馬市)
・父母が少年のころなので昭和10年代であろう、久々野には年2回馬市が立った。
・売買されるのは木曽馬であった。
・市には馬を運ぶ馬喰やそれを買う商人が集まり、大変な賑わいで出店も出た。
・母は普段1銭の小遣いであったが、馬市では5銭もらって出店を回るのが楽しみだった。
・茹でた串のこんにゃくを八丁味噌の壺につけた、味噌おでんがうまかった。(飛騨ではおでんに味噌はつけない)
・男の子供は、馬喰から飼料にする草刈りを頼まれ、小遣い稼ぎをした。
・馬喰は馬の尻尾と「くつわ」をひもで繋いで、数頭を連結して運んだ。
・馬喰は腰に札束を挟んで、羽振りがよかった。
・父の家では組み立て式の厩を持っていて、庭には土台があり、市の期間だけ厩を立て馬を預かった。
・馬喰は家の座敷に泊めて金をとった。
・子馬を預かるときは、厩の床を深く掘り下げて、そこに子馬を入れる。(馬小作)
・飼料を投げ入れ、馬は糞をして床を踏み固め、どんどん穴が浅くなってくる。
・子馬を出すころには、床が逆に高くなっていた。

当時、既に原家は破産していた筈だが、まだ馬の売買は盛んであったようだ。

(原家訪問)
・父が裁判所に就職して間もないころというので、昭和27年ごろの話か。
・同僚と日和田に行く機会があり、村の顔役的な者の口利きで原家を訪問。
・家には兄妹が二人で暮らしており、妹が父と同僚を案内した。妹は30代に見えた。
・まだ広大な屋敷は現存しており、傘天井などを見学した。素晴らしい細工だったという。
・屋敷の土台はすべて大きな御影石であった。
・没落した富豪へのやっかみか、この兄妹のことを「にわとり夫婦」と陰口を言う者もいた(意味は不明)。
・木曽馬がだめになり、競走馬の飼育にも手を出したが、借金を増やすだけに終わった。

屋敷と共に朽ちていくのを待つかのような、兄妹の泉鏡花じみた暮らしぶりを想像してしまう。
二十歳そこそこだった父達は、興味本位で原邸を訪問したのだと思うが、何を感じたのか。
酒を飲むと一度ならずその話をするところを見ると、相当、印象に残る体験だったのだろう。
書記官だったくらいだから、文章を書くのは得意なはずで、その気になれば面白い短編でも書けそうな気もする。
けど、本人にはその気も無いようである。

馬大尽・原家については、飛騨高根観光協会長 小坂 守が書かれた下記の資料が詳しい。
公益社団法人 飛驒法人会だより 「飛騨の木曽馬と馬大尽・原家」


濁河経由で下呂に戻った。
御岳展望台には下界の猛暑を忘れさせる涼風が
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下呂の旅館に戻ると玄関に涼しそうな趣向
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下呂でも36度を超える猛暑日であった。






by s_space_s | 2018-07-24 17:30 | 旅行 | Comments(0)
2017年 05月 13日

谷汲山から横蔵寺まで名刹を結ぶ”巡礼”の道

今年も庭のユズに蕾が付いた。
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かみさんに呼ばれて行ってみると、こんなものが柚子の棘に刺さっていた。
モズの仕業である。
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連休の最終日、1日予定が空いたので妙法ヶ岳へ取材に行くことにした。

昭和56年に中日新聞から発行された「東海自然歩道中部特選25コース」(稲熊金久著)というガイドブックがある。
大学4年のころだったかサイクリングから山に志向が変わったてきたころ購入した本で、当時はこの本を参考に自転車を担いで山に入ったり、歩いたりしていた。
谷汲山へから横蔵寺へ抜けるこのコースも名古屋から電車とバスを乗り継いで登りに来たことがあった(今のかみさんと)。
そのとき参道の菓子屋で「ぶんたこ」(草餅)を買って食べた。
登山道の記憶はほとんどないのに「菅原ぶんたこ」とか言って笑っていたことは憶えている。
あと、横蔵寺の舎利仏(ミイラ)と。

若いころは面白い道とは思わなかったけど、歳をとったせいか、このコースはなかなか楽しめるとこだと思った。

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満願堂から奥の院までのミニ巡礼コース。
三十三体の阿弥陀様がみんな違ってみんないい。
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岩窟の中から湧き出す泉
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中に不動明王が祀ってある。
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登山道わきの木で気になるのがあった。
確認するとユズリハとクロモジの成木であった。
どちらも直径が20cm以上でこんな太いの初めて見た。

東海自然歩道のテーブルでのんびりハイキング気分
ラジオから聴こえてきた柴門ふみの話が面白かった。
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562mピークの近くにある二又の大杉。多分、真ん中にもう1本あったのが枯れたようだ。
根周りは相当な大きさで巨木といってもいい。
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その奥の祠の周りにシャクナゲ
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横蔵寺の旧本堂跡の池
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そのほか僧兵の馬場跡、熊谷直美の墓など興味深いものがいろいろあった。
横蔵寺に降りてバス停の時間をみると、次のバスが来るまで1時間以上あった。
ベンチに座って、ぼけ~っとしたり、小川の魚を眺めたり、駐車場係のおばちゃんの話を聴くでもなく聞いたり・・・
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コミュニティバスの乗客はわし一人。料金100円。
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谷汲山に戻り、参道を歩いてみたけど、すでにほとんどの店が閉まっていた。
1軒だけ開いていた土産物屋があった。
「ぶんたこ」はなかったけど、草餅とにっき餅を2個ずつ買う。
店のおばちゃんと話しをしながら1個食べて、ひと気のない参道を下って行った。
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by s_space_s | 2017-05-13 10:44 | 山登り | Comments(0)
2016年 04月 06日

芥見権現山北面大洞谷探索

日比野さんの百山百渓4に紹介されている芥見権現山北面の大洞谷を歩いてみました。
大洞団地奥にある中将姫誓願桜から右手の林道に入っていくと、すぐに林道が分かれて三俣になっています。
興味深い岩穴や石仏などがいっぱいあるようです。
家から歩いていけるので、またウロウロしてみたいと思います。

右俣の七地蔵
それぞれいい表情をしておられます。
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宝暦5年(1755年)の銘があります。
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左俣の荒神様と山神様
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中俣行者岩基部の岩穴
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この岩穴には石碑とお祀りした跡がありましたが、仏像はありませんでした。
日比野さんの記録では石仏があるとあったので、ひょっとして持ち去られたのかと思い、日比野さんにお電話してみましたが、仏像があったかどうかは記憶にないとのことでした。
行者岩はかなりの規模の前傾した壁で、ルーフクラックもあります。
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右手の踏み跡から回り込めます。
行者岩のてっぺん(おまたがムズムズ)
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上部に続く岩稜
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対岸から見た行者岩
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誓願桜を観て帰りました。
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by s_space_s | 2016-04-06 08:19 | 山登り | Comments(2)
2015年 11月 07日

納古山木作谷右俣不動窟探索

昨年、奥美濃でたまたまお会いした「百山百渓」の日比野さんから納古山の面白い谷情報をいただきました。
7月に木作谷の左俣に行ってみて、短いながら興味深い地形で楽しめました。
その後、まっちゃんの林業関係の知り合いであるFさんに右俣にも面白いものがあるという情報をいただきました。
谷の側壁に岩穴があり、入口が石組で壁になっていて、中に入ると寛永通宝が散乱しているらしい。

復帰山行がいきなり沢登りというのも不安がありましたが、まっちゃんとイシハラさんの最強コンビなら大丈夫かなと。
木作谷の林道をビッツで突っ込みすぎ、回転するのにハラハラしました。
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林道終点から少し登ると1:1の二俣。
右俣は、ほんとに何かあるのか不安になるほどの小沢。
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暫く登ると、左岸に岩窟が現れた。
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これはでかい。
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側壁には大木の根っこが。
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奥はこんな感じ。
住めるんじゃない。(by洞窟おじさん)
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石灰成分があるのか、石筍が何本かあった。
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けど、ここには人工的なものが見当たらず、目的の不動窟ではない。
不動窟は左岸にあるという情報から、ここまで左岸を注意して遡行してきたが不動窟のありそうな岩壁はなかった。
わしらはさらに上流を目指した。

小さな谷は既に源流の様相で、Fさん情報からは登りすぎのような気がする。
戻って中俣など支流を覗いてみるも発見できず。
沢の中には何ヶ所かケルンが積まれていた。

神薬と書かれた小さな小瓶を見つけた。
裏面には水野薬房とあった。
いつの時代のものだろうか。

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結局、尾根近くまで登ってしまった。
ここで大臼歯。

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Fさん情報の記述について3人ともはっきりとした記憶がない。
「ここでメールを確認できたらなあ。」と誰ともなく言っていたら、なんとイシハラさんのスマホで確認できてしまった。
そこで驚愕の事実が判明した。
不動窟は最初の岩窟の下流にあるというのだ。
確かその逆だと記憶していたはずなのに。
重要なものは後になって現れるという思考バイアスもあり、現状に合わせて記憶をねじ曲げてしまったようだ。

谷を戻るか納古山を経由して谷の出合へ戻り仕切りなおすか思案。
さすが山屋さんのお二人、尾根に上がってピークを踏むことになった。
筋力の衰えているわしにはきつかった。

松の生えたチャートの岩稜を登る。
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ノコリン
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納古山の頂上からは御嶽も望まれた。
前回、下部が藪漕ぎになってしまった木作谷コースを下る。
2回目の今回は容易くルートを見つけることができた。
小さい山である。
木作谷にはあっという間に戻る。

ここから仕切り直し。
右俣に入り暫く登ると最初の岩窟にまた着いてしまい、諦めかけたが・・・。

あった~!

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入口の碑には不動明王とあるのに、中に入ってみると薬師如来的な仏様が祀ってあった。
台座には「初代山口家」とある。
後になって安置されたものかもしれない。
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左奥には泉が。



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これで帰れる~。

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日比野さん情報のとおり、沢登りとしては左俣のほうが楽しめると思います。
けど、なにかを探して山を彷徨するのも面白いもんです。

まっちゃんのヤマレコ日記





by s_space_s | 2015-11-07 22:19 | 山登り | Comments(2)