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2019年 06月 30日

オフシーズンに差をつけろ!サマーゲレンデ2回目

土日のうち土曜日がましそうだったので、tsutomuさんと2回目のサマーゲレンデへ。
ロッテフェラーのフリーダムとクリスピのSHIVERというNTNのセットで滑ってみました。
1本目は、エッジシャープナーで削ったエッジがブラシに歯が立たず、滑りになりませんでした。

tsutomuさんと相談して今回はレンタルショップのチューンナップに出してみました。
こっちは1000円です。
K PROJECTの出張ブースは1500円です。
7分ぐらいの作業時間のはずなのに結構時間がかかりました。

急ぐ必要もないので2人でロビーでぼけっ~としていたら30分ほどで出来上がり。
tsutomuさんの山スキーでボロボロになったエッジはブラシに効くようにするのに、相当削らないといけなかったみたいです。

足場ができればtsutomuさんも普通にテレマークしてて感心しました。
わしのほうはきついカービングの板に最初は慣れなかったけど、数本滑るうちに気持ちよくなってきました。

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NTNのセットにも慣れてきました。
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このあたりがピークかな。



そのうち、またエッジが甘くなって、1回持参のエッジシャープナーで削って、あと数本。

センターハウスに「オフシーズンに差をつけろ!」というポスターがありました。
tsutomuさんはそんな予感がするぐらい楽しんでいたみたい。

帰りに美濃市の柳谷食堂でとんちゃんを買って帰ろうと寄ったら準備中だったので、国道沿いの島屋食堂に寄りました。
こっちのほうは少しとんがらしの効いたピリ辛のあっさり系。
「男はつらいよ」を観ながら酒がすすみました。






by s_space_s | 2019-06-30 20:39 | テレマーク | Comments(0)
2019年 06月 15日

最近読んだ本(みずうみ、二人がここにいる不思議、ダンス・ダンス・ダンス)

テレビを観ることはあまりなくて、ニュースとテレビ体操とそのあとの子供向け番組ぐらいです。
あと笑点は観るかな。
そのかわり、時間があれば本を読んでいます。
酒を飲んでしまうと数ページもいかないことが多いので、眠り薬的なものかも。
必要に迫られたとき以外は、役に立つ本というのは読みません。
純粋に楽しみで読んでいます。

★みずうみ 他四篇
ドイツの抒情詩人シュトルムは少々、少女趣味のようである。
男女にかかわらず若いということは美しい。

「マルテと彼女の時計」は、老女マルテの生き方そのものが美しい。
―― 人生を知ってこれを愛する者なら、あえて口に出そうとしないことを、彼女はよく大きな声で怖じることなく言ったものである。
「わたしはいちども病気になったことがありませんの。きっと長生きをするでしょうよ」と。 ――
結婚もせず家族もいない下宿屋のおばさんに、生きる苦しみや寂しさがなかったわけではないのに。

「遅咲きの薔薇」は妻を惚れなおす話。
若いころの妻の美しい肖像画を見て突然、トリスタンとイゾルデが飲んだ愛の美酒をあおったようになる旦那。
中2のころのかみさんは確かに美しかったと思う。

岩波文庫 シュトルム著 関泰祐訳

★二人がここにいる不思議
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この書名と帯のコピーは、ちょっと誤解をまねくのでは。
ここにいるのが不思議なのは、亡くなってしまった両親。
ロマンチックではなく、ちょっと皮肉なほろ苦いお話。

丘の上で見知らぬ女性と眠る話は「生涯に一度の夜」。
まあ、こちらも不思議な話ではある。

オリジナルの表題は"The Toyngee Convector"。
100年後の未来へのタイムトラベルから帰還し、100年後にインタビューにこたえるタイムトラベラーのお話。

「プロミセズ、プロミセズ」のラストが上手い。
SFという範疇に収まらない短編集。

新潮文庫 レイ ブラッドベリ著  伊藤 典夫訳

★ダンス・ダンス・ダンス上下
「羊をめぐる冒険」の続編みたいな長編。
ここにも「羊男」が出てくる。
耳のすごい彼女ってキキっていう名前やったっけ?

村上春樹は優れたストーリーテラーなので面白くてどんどん読み進めることができた。
何がテーマかなんて考える必要もない。
「文化的雪かき」と感じる読者がいるかもしれないけど、村上自身が書きたいとおもって書いたものならそんなこと言われる筋合いではない。

講談社文庫 村上春樹著





by s_space_s | 2019-06-15 21:03 | 読書 | Comments(0)
2019年 04月 08日

シベリアの旅・サハリン島

チェーホフの短編から戯曲ときて、こんどはドキュメントを読んでみた。
文庫で600ページもある大作。
1890年、チェーホフ30歳の年、当時鉄道もないシベリア、それも洪水期で馬車を使えないところは渡し船や渡渉しながら、サハリンに向かう。

この本を読むきっかけは、カーヴァーの遺作「滝への新しい小径」にいくつか断片が挿入されていたから。
旅の苦労話や出会った人たちの様子も興味深いが、旅情を誘うシベリアの描写がすばらしい。
サハリンの悲惨な状況を自分の目で見たいという目的は確かにあってのことだけど、チェーホフは旅がしたかったということが伝わってくる文章だ。

苦労して上陸したサハリン島の滞在は3か月。
公的な調査員でもない彼であったが、現地の役人のある程度の協力は得られた。
当時のサハリンは、徒刑囚、流刑囚による農業植民政策を進めており、島の中で徒刑囚が結婚したり、商売を始めたり、酒・賭博・売春が事実上黙認されたり、今、わしらが想像する刑務所の状況とはあまりにもかけ離れた世界である。

労働が課されるかわり、少ないなりに食料や寝る場所が保障される徒刑囚から、ある程度自由のある流刑囚に昇格?したとたん、食うものに困るという矛盾。
女囚は、器量のいい若くて健康なのから、大きな監視所優先で割り当てられ、前線の植民区域に回されるのは年寄と病気持ち。
脱走の常態化と、裁判を省略して行われる鞭打ちなどの刑。

非常に厳しい自然環境の土地で、政治・政策的な目的で特殊なルールで作り上げられた社会。
SFのディストピア小説を読んでいるようだった。
統計的な記述の部分は、眠気をこらえて読むのが大変だったけど、囚人の言葉などハッとする部分も多く、dog-earがいっぱいになってしまった。

(十七)
サハリンの子どもたちを、どういうふううにして助けるべきか。なによりもまず、わたしには、援助を受ける権利は、「極貧の」とか「不具者」といったような基準によって限られるべきではない、と思われる。申請者は例外なしに援助しなければならないし、そのさい嘘をついているのではないかと恐れてはならない。過ちを犯すよりは、だまされるほうがましだからだ。

(二十一)
女性の隷属状態、その貧しさと卑屈さとは、売春を蔓延させている。わたしがアレクサンドロフスクで、ここにも売春婦がいるかとたずねると、「いくらでも!」という返事だった。需要はものすごくあるので、年寄りだろうと、不器量だろうと、第三期の梅毒でさえ、売春業の妨げにはならない。

孫引きであるが、訳者の解題にこうあった。ボグダノーヴィチ曰く、
「作者は、誇張したり無理に解決を示したりしようとせずに、事実と個人的観察との見事な組みあわせによって、サハリン島の衝撃的な光景をあまりにも精緻に描きだしているので、読者は全く圧倒され、心底から赤面させられて、本を閉じてなお、長いことその印象から逃れることができない。もしもチェーホフ氏がこの本以外に何ひとつ書かなかったとしても、その名を永久にロシア文学史にとどめ、ロシア流刑史のなかで決して忘れられることはないだろう。」
言い得て妙である。

松下 裕訳 ちくま文庫





by s_space_s | 2019-04-08 18:02 | 読書 | Comments(0)
2019年 02月 20日

チェーホフの戯曲4連発

★桜の園・三人姉妹
★かもめ・ワーニャ伯父さん
4つの戯曲のなかでは、「かもめ」が割とストーリーがあって読みやすかった。
「私はかもめ」という有名なセリフが出てくる場面があり、そのようなことを口走ってしまうニーナの、自己が崩壊してしまいそうな状況が感じられ緊張感があった。
「私が大女優になったら云々」という言にもかかわらず、多分、ニーナは破滅の道を歩むのではないか。

「三人姉妹」には色んな軍人が出てくるので、「人物」のページを見返す回数が半端なかった。
軍人の娘であり、貴族的、ある意味ナイーブな三人姉妹が「真に生きることの意味を理解」したのかどうか、わしにはよく分からなかった。

余談であるが、イッセー尾形の芝居の演出で知られ、昨年10月に亡くなった演出家森田雄三がブログで面白い解釈をしているのを読んだ。
「三人姉妹」と最近の若い人(特に魅力的な人たち)の結婚離れには共通点があるというような話だ。
ストーリーについて認識の違いはあるみたいだが。
この人の書いた本も読んでみたくなった。

「桜の園」は、引っ越しの場面で終わる。
何かが終わって、人が家を出ていく情景は寂しくもあるが、嫌いではない。
老僕フィールスが手違いで病身のまま一人残されるのは、悲劇的だが喜劇的。

ソーニャはワーニャ伯父さんに「運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょう」と切々と訴える。
このメッセージは、4つの戯曲の中で一番わかりやすいかも。
我慢して生きることが大事なのだ。

2冊とも神西 清訳 新潮文庫




by s_space_s | 2019-02-20 18:25 | 読書 | Comments(0)
2018年 12月 10日

最近読んだ本(羊をめぐる冒険、君たちはどう生きるか)

★羊をめぐる冒険
これも、たまたま家にあったので読みました。
村上春樹はストーリーテラーなので、テレビドラマや映画を観ているように、すんなり頭に入ってきて読むのが楽です。
まあ、単なる暇つぶしかな。
所々に、面白いエピソードがあって、そおゆうのが記憶に残るぐらい。
今回は、名前のない老猫に運転手が「いわし」と命名するところが良かったです。

講談社文庫


★君たちはどう生きるか
昨年、同名の漫画がベストセラーになり、その原作も見直されることになった青少年向けの倫理小説です。
第二次大戦直前の1937年に出版されたもので、戦前の道徳本のようなものだと嫌だなと思いながら読みすすめました。
吉野源三郎は反戦主義のジャーナリストだったそうで、今読んでも納得できる考え方が提示されています。
それは、人間は社会的な存在であり、立派な人間になるべきだということ。
何が立派なのかは、自分で考えなければならないということ。
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わしは「立派」でない人生のほうに、より共感を強く覚えるほうです。(ホウ、ホウ、ふくろう)
吉野は「人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。」と言いますが、人類の進歩という考え方が、わしにはしっくりきません。
少なくとも後者のほうが害が少ないと思ってしまいます。

コペル君が友人を結果的に裏切ることになり、後悔の涙を流す場面があります。
わしにも未だにフラッシュバックする出来事があるため身につまされました。

岩波文庫





by s_space_s | 2018-12-10 17:56 | 読書 | Comments(2)
2018年 11月 21日

子どもたち・曠野

ロシアを代表する劇作家・小説家のチェーホフ初期の短編11編と中編「曠野」を収めた作品集です。

チェーホフの簡潔な文体と心理描写はレイモンド・カーヴァーに影響を与えたと言われています。
いつもトイレでぱらぱら捲っている、カーヴァーの遺作となった詩集「滝への新しい小径」にはチェーホフの小説の断片がいくつかイメージ喚起のため挿入されています。
確認したら、この短編集の作品はありませんでした。

「曠野」では、親元を離れ学校に行くため行商の叔父さんと神父さんに連れられて馬車で旅をする少年エゴールシカが見聞きした自然や人間について、淡々と描かれています。
黒海北部地方の厳しくも美しい風景と、そこに生活する多くは貧しい人々の暮らし。
どこを切り取っても目に浮かぶようでした。
馬車隊の人夫たちが農家から網を借りてきて、川で小魚やザリガニを捕まえて鍋で煮て食う場面が好きです。

最後は「その生活はどんなものになるだろうか。」と突き放して終わっています。
面白い終わり方だと思いました。

短編では、「聖夜」「ロスチャイルドのヴァイオリン」が気に入りました。
くすっとさせる話で「いたずら」「実は彼女だった!」も面白い。

松下 裕訳 岩波文庫





by s_space_s | 2018-11-21 18:08 | 読書 | Comments(0)
2018年 10月 24日

スプートニクの恋人

村上春樹の小説は、わしのような者にもすんなり頭に入ってくるので、苦労することなく読めました。

ハッピーエンドみたいな結末ですが、「ぼく」の手には元々、血など付いていなかったのではないか、と思いました。
「すみれ」が消えてしまって帰ってこないで終わるというストーリーだったら、もっと後を引く読後感になったような気がします。
どこか分からないとこから電話があったけど、結局、会うことはできなかったのだと、かってに考えてみることにします。

スプートニクはビートニクの言いまつがい。

村上春樹著 講談社文庫


このあいだ、山の帰りにカーラジオで村上春樹が話しているのを聴きました。
あの風貌からイメージしていた声と違い、落ち着いた俳優さんのような話し方でした。
DJやってもおかしくない感じです。




by s_space_s | 2018-10-24 12:14 | 読書 | Comments(0)
2018年 10月 06日

最近読んだ本(一千一秒物語、東西不思議物語、清兵衛と瓢箪・網走まで)

最近、割と読書をしています。
感想まで書けるといいと思うのですが、そのずくがない。
備忘のメモが精いっぱいです。

★一千一秒物語
以前の記事で少し触れましたが、戦後短編小説再発見「表現の冒険」という短編集のなかに、稲垣足穂の「澄江堂河童談義」がありました。
独特の雰囲気と少年・後門愛についての蘊蓄話が面白く、その続編ともいえる「A感覚とV感覚」が収録されている本書をアマゾンの古本屋で購入しました。
便利な世の中になったもんだ。

表題作の「一千・・・」は星新一のショートショートをもっと凝縮してポエムにしてしまったようなもの。
テーマは月や星や流星や彗星を拾ったり食べてみたり、月と喧嘩してみたり、おとぎ話のような感じのが多い。
酒を飲むと数日にわたって呑み続け、最後には糞まで垂らしたという足穂のアル中的、幻視・妄想のようなものもあります。

その他の短編も独特の世界観で楽しめました。
56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、人々を救済するという「弥勒」の宇宙的なイメージが洒落ていました。
貧困のため半断食生活となり、朦朧の中で突然なにかを悟る(悟った気になる)ということは、ありうることだと思います。

「美のはかなさ」を読むのが苦しかった~。
2回目読んでも、学生時代に吉本隆明を読んだときみたいに、全然頭に入ってこない。
美の偶然性とか美の冒険性などについての評論で、内容を整理しながら3回目読んで、やっと分かったような気になりました。

目的の「A感覚とV感覚」も評論的なもので、おしりに関する蘊蓄いっぱい。
理論的なことは分かりませんが、まあ楽しめました。
P感覚というのは、足穂によれば従属的なものだそうです。
そうかもね。

稲垣足穂著 新潮文庫

★東西不思議物語
昭和50年に毎日新聞・日曜版に連載された澁澤龍彦のエッセー。
超自然現象や神秘体験に関する物語を、日本と世界、古今東西の書物からとりあげ、似たような話を紹介するという軽い読み物です。

江戸時代の後半、橘南谿という医者の書いた「東遊記」「西遊記」という日本見聞録の人気本があったそうです。
そのなかに書かれた、四五六谷(しごろくたに)の話しがありました。

神通川の上流ということなので、今でいう双六谷です。
飛騨船津の男が二人で、この谷の奥を見極めようと入ったところ、食料も乏しくなり釣りをしたのだそうです。
あるとき、相棒が釣りをしている顔を見ると、「化け物のような異様な顔」をしている。
驚いたことに相棒もこちらの顔を見て同じように驚き、山の神のしわざだと怖くなって谷を下るという話です。

「東遊記」では、高山の人の意見として、光の加減で顔がひょろ長く異様に見えるような場所は他にもあり、珍しくないというのがオチになっています。
空腹と疲労のため幻覚を見たというのが、もっともらしい説明でしょう。
けど、餓鬼のようになる釣師の根性が顔に出たというのも、まんざら無くはない?

澁澤龍彦著 河出文庫

★清兵衛と瓢箪・網走まで
志賀直哉の初期の短編集です。
本棚にあって、何回も読んでいるはずですが・・・。
「剃刀」「正義派」などいくつかの作品はストーリーにおぼえがありましたが、読み進めても最後まで思い出せない作品のほうが多かった。
台風接近でクライミングにも行けない休日には、しみじみする短編集です。

志賀直哉著 新潮文庫

連休後半で、まっちゃんと乗鞍へんてこ山行の予定です。
楽しみ〜。





by s_space_s | 2018-10-06 15:55 | 読書 | Comments(0)
2018年 08月 21日

最近読んだ本(死者の奢り、戦後短編小説再発見「表現の冒険」)

★死者の奢り(再読)
文体云々ではなく、描こうとしているイメージ世界がすごい。
そして、それが読む者にリアルに伝わってくる。天才だ!
セリーヌの「夜の果てへの旅」を大江が「ロバンソン小説」と呼んでいるという評論があり、読んだことがあるような気がして本棚を探したが、この短編集しか見つからなかった。
それは「さようなら、私の本よ!」という読んだことのない小説であった。

大江健三郎著 新潮文庫

★戦後短編小説再発見「表現の冒険」(再読)
これも、本棚を漁っていて、また読みたくなって引っ張り出してきたもの。
テーマではなく表現方法に冒険的要素のある短編を集めたもの。
学生の頃、日本のSFを好んで読んでいたので、筒井康隆「遠い座敷」や半村良「箪笥」は懐かしい気がした。
稲垣足穂「澄江堂河童談義」の雰囲気と後門愛的な内容に興味を覚え、「一千一秒物語」を古本屋で買って今、楽しんでいる。
ちなみに「河童」は芥川のこと。

講談社文芸文庫

並行して読んでいる本
★東西不思議物語 澁澤 龍彦
★スプートニクの恋人 村上春樹






by s_space_s | 2018-08-21 08:29 | 読書 | Comments(0)
2018年 06月 27日

「新・冒険論」を読んで

まっちゃんに借りた「極夜行」を返しに行くと、こんどはこの本を貸してくれた。

この本において考察される「冒険」とは、本田勝一が定義するように命の危険があり、主体的で、かつ社会の変革を迫るものである。
「ちょっと冒険してみようかしら。」とか言って、髪形を変えてみるレベルのものではない。
本田氏の3つ目の定義を、角幡氏なりに捉えなおしたものが「脱システム」である。
脱システムは、既存のシステムへの批評性とも言い換えられる。


この定義で自分の登山を振り返ってみると、「冒険」と呼べるものは一つもなかった。
ひいき目で見るならば錫杖の「注文の多い料理店」は、ほんのりその香りがあるぐらいのものか。

主体性という点では、あのラインにルートがあるべきだし、それを自分が登りたいと思った。
脱システムという点では、ヨセミテなどで一般的なルールとなっていた、可能な限りフリー、NPで登り、一切残置はしないというスタイルに徹したこと。
当時、既に日本でもこのスタイルでのルート開拓は珍しくなかったと思うが、錫杖では初めてルートとして具現化されたものであった。
この点でも、その世界で「非常識」と非難されるレベルでないと脱システムとは言えないという。
命の危険という点では、潜在的なリスクがあるのは当然としても、行為者として切実に感じてはいなかった。

本書は、このように自分の登山行為を評価する視点を与えてくれた。


かみさんと結婚する前、実家に挨拶に伺った晩、義父が酒を飲みながら、
「娘さんよく聞けよ。山男にゃ惚れるなよ・・・」と歌って泣き出したことを思い出す。
35年近く前のことである。

結婚当時かみさんも、わしの山の友達は、みんな不良みたいで嫌い、と言っていた。
角幡氏も書いているが、昔の山屋は図らずも社会から脱システムしてるのが多かった。
世間から理解不能の連中と思われていたのである。

最近では、登山は社会的に認知され、有益な活動と思われている。
その理由は、登山が健康で安全で文化的な行為としてシステム化されたから。
ガイドなどもその恩恵にあずかっているというわけだ。
今の時代なら、義父も泣いたりしなかったのではあるまいか。


アドベンチャーレース、山岳マラソン、競技クライミングなど、スポーツ化した行為で冒険と呼べるものは一つもない。
以前から、これらのスポーツと登山・冒険との間には、断絶があると感じてきた。
この本は、その訳をすっきり示してくれた。
第1(命の危険)、第3(脱システム)の定義に合致しないからである。
そこでは、リスクは主催者にコントロールされ、ルール(システム)に則った行動が課される。
もちろん、身体能力と技術の限界に挑むことに意味がないとはいわないけど。

角幡氏も言うように、冒険とは人生で1回か2回実現すればいいくらいの、ハードルの高い行為である。
我々のような一般の登山者にとってできることと言えば、自分の登山をその観点から評価してみること。
たまには、3つの定義で表される冒険の要素を、自身の登山のなかに取り入れてみることであろう。
ニュアンスとしか言えないレベルであっても。


2018年 角幡唯介著 インターナショナル新書





by s_space_s | 2018-06-27 17:21 | 読書 | Comments(2)